少女マンガって、どこから来たの?Part 1
「どうして日本のマンガは少年と少女に分かれてるの?」
この四半世紀、この質問に何回遭遇したことか。もちろん、この質問をして来るのは外国人。
日本人からは、逆にこんな質問をされる。
「アメリカの少女マンガってどんな感じ?」
まず、その答えから行こう。
アメリカには少女マンガなんてありません。(エーーー!?って思った?)少年と少女で分けてないけど、そもそも最近まで女の子向けのマンガは非常に少なかった。
日本人にとっては、マンガは少年と少女に分かれているのが当たり前。疑問に思ったことのある人は少ないと思う。
実は、日本のマンガが(というより、日本のマンガ雑誌が)少年と少女に分かれているのにはワケがあって、そのワケがとっても面白い。
あなたの知っているマンガ雑誌は、児童雑誌から進化したものです。
そしてそんな児童雑誌が初めて登場したのは、明治時代。明治19年(西暦1886年)に創刊された『ちゑのあけぼの』がその始まりです。
今では「少年=男子」という認識が一般的かと思うけど、元々「少年=こども」だったんだよね。1888年に『少年園』という児童雑誌が創刊されたんだけど、これは「男子の園」ではなく「こどもの園」だった。これに続いて創刊された『日本之少年』(1889年)も、『少年世界』(1895年)、これらも「児童雑誌」だったワケです。
しかし、実際の雑誌を見るとやっぱり男子が喜びそうな内容が、女子が喜びそうな内容より断然多い。なぜかというと、実際に19世紀の「児童雑誌」を読んでいたのは男子が圧倒的に多かった。江戸時代の寺子屋は、地方によって生徒の男女比率が全然違ったけど、全国の平均はだいたい2:1だったと言われる。ということは、19世紀末には字が読めない女子がまだまだいっぱいいた!だから児童雑誌が男の子に偏るのも無理がない。明治時代になって、男子教育が着々と制度化されていくのに対して、女子教育は、なかなか進まなかった。
「女学校」たるものが登場したのは1872年だったけど、それはあくまで個人や民間団体が勝手に作ったものだったんだね。女子の義務教育がようやく設けられたのは、1899年!そこから、本を読める女子、本を読みたい女子が急激に増えていく!(当然!)
そんな女の子たちが、それまでの「少年誌」で満足するはずがないよね。そして20世紀の幕開けと(ほぼ)共に、「少女誌」というものが生まれた。1902年の『少女界』。
どうやら、それまでは、現在使われている様な女の子=「少女」という言葉の概念がなかったらしいよ。「少女」は「女の子の少年」を指すための単語として当てられたらしい。だから「少男」とう言葉は使わない。(知っている方もいると思うけど、英語のmanは元々「ひと」という意味で、womanは「ひとの妻」という意味なんだよね。古今東西、どんなだけ女性が軽視されて来たか、こういう言葉の語源を知って実感できる。)※最下部注あり
ここから、20世紀初期に、女の子向けの雑誌が続々と創刊される。『少女知識画報』(1905年)、『少女世界』(1906年)、『少女の友』(1909年)、『姉妹』(1909年)、『女学生』(1910年)、『女学生画報』(1911年)、『少女画報』(1912年)等々…
断っておくけど、明治時代の児童雑誌にはマンガと言えるほどのマンガがほとんど載っていなくて、小説、挿絵、記事、エッセイ、写真が中心だったんだよ。私のコレクション(かなりのコレクターを自負している!)にある最も古い「少女マンガ」を紹介しよう。これです。明治43年(1910年)11月号の『少女』(女子文壇社)に載ったものです。
どうですか?ローマ数字の「Ⅳ」が間違ってることに気づいた?さすが明治!この頃は、「漫画」という言葉がまだ定着していない時代で、「ポンチ画」と書かれているのね。(間違っても左から読まないでね!きゃ(≧∀≦))「ポンチ画」はイギリスの有名な風刺雑誌Punchにちなんだ言い方で、明治日本ではその言い方がそれなりに流行った模様。しかも作品のタイトルが外来語の「もでる」!なんてハイカラなんでせう✨上に「編輯局選」、下に「大阪 西木冨士子」とあるけど、これはおそらく読者のアイディアを雑誌の絵師が描いたんじゃないかな。
そう、まだまだ「まんが」の黎明期だったけど、それでも「少女マンガ」「少年マンガ」という分け方は、ここから始まる。戦前の女の子と男の子は、12歳からハタチまで、別の学校に通って、別の世界に住んで、別の文化を生きていた。家族以外の異性と言葉を交わすことすら、ほとんどない。
少女マンガと少年マンガが別の道を歩むことは、登場する前から決まっていたこと。
上の「美いちゃん」と名の無いお友達は、おそらくこの四コマに出たっきり二度と登場しなかったんだろうけど、昭和3年に連載マンガの主人公として、おそらく日本初の少女「キャラクター」として登場する。それは、西洋風のマンガを日本に導入した北澤楽天が描いた『とんだはね子嬢』。
しかし、この作品が連載されたのは少女誌ではなく、大人向けの『時事新報』の付録「時事漫画」だった。
少女雑誌に少女マンガらしいマンガが登場するのは…
次回のお楽しみに!✨
※注 易や八卦の世界では少女、小男といった言葉を、おそらくかなり古い時代から使うが、いわゆる「女の子」「男の子」を指しては使われていない。
©️2018 Rachel Matt Thorn